蚊帳の中の日記

ゆるく生きてます

「融けるデザイン」を読んだ

インターフェイスデザインを題材にしている書籍なんだけど、ディスプレイ上のUIデザインとかプロダクトのデザインについてのノウハウ等が書かれている書籍ではなく、ユーザーや利用者と言った人にフォーカスを当て、人の認知や心理、特性に関して議論を交えながら「どうすればユーザーに良い体験を提供できるのか」を書いている。著者自身は研究者であり、上記をテーマにした自身の研究も交えた主張も読んでいて非常に面白かった(個人的に大学時代の認知心理学周りの研究や実験を行ったときの頃を思い出して懐かしんだりした)。

帯にも「UX, IoTの本質を掴みたい人へ」とあり、巷に並んでいるUXデザインをテーマに入れている教材よりも「なぜインターフェイスデザインが重要なのか?」「どういったデザインが今後親しまれるのか?」といった本質的な考えが書かれていて、今後の考え方の基盤になるような内容は勉強になった。

インターフェイスデザインというものは)画面や道具といった対象をデザインすることではなく、それらを利用する人々の行為や活動を設計し、結果その人の体験に変えていくことがデザイン(設計)であると考え方は特に覚えておきたい。

道具の透明性

「道具の透明性」は、ある目的を達成するために原因と結果が直接的な関係になっており、それらの間に介在している「目的を達成するための道具」が無意識下にあるような状態のこと。

例えば、ハンマーを手にもって釘を打つときに「釘を打つ」という目的を達成するために、人がハンマーを意識することは少なく、「釘を打つ」という行為(対象)に意識が集中しやすい。人 - ハンマー - 釘という登場人物があるが、実際に人から見るとハンマーは自分の体の一部のように認知されていて、釘を打つという行為に集中しており、ハンマーは無意識下にあるといった状態。これは道具の透明性といってもいいと思う。

この「道具の透明性」というのは、サービスやプロダクトをデザインするときに一つのゴールとして位置づけられるような概念になると思う。とある価値をユーザーに提供する場合、それを提供するための手段やツールが間に入る。手段やツールの提供側としてはちょっとさみしいかもしれないけど、これらをあまり意識させないでスムーズにユーザーの目的である価値を提供できるように設計できることは、デザイン・設計におけるゴールの一つにかなと思う。

これを見たとき、ノーマンの良いデザインの4原則にある「良い概念モデル」と「良い対応付け」を思い出した。道具を扱うには、どれがどういった価値を作るのかが想像できないといけないし、その道具を何に対して使うかがわからないといけない。これが出来て初めて道具を使いこなせるはずだけど、その先に道具をできるだけ意識しないで目的を果たすというのが透明性に当たるのかな〜と思ったりもした。

余談だけど、道具の透明性について

「透明になりながらも力を得られる」

という言い方を本書でしていて、中二病感があって気に入っている。

「できる」〜自己帰属感

人に「これができる」という可能性を想起させて、更にその先で「自分が操作している」という自己帰属感を与えるという考え方も非常に面白くて勉強になった。

特におもしろいなーと思ったのが

モノへ人の行為が動きとして連動的に関わることで、自己感や「私が感」が生まれて「自分の体験」が立ち上がってくる。この体験こそ生きている実感、あるいは愉しさや喜びと言える。生きている実感のようなものを与えられるとすれば、ものづくりの評価の軸は様々なあるとしても、自己帰属感を最重要課題とするのはいい目標だ。

ユーザー自身が「僕が使ってる!」と思わせることが「生きている実感」という表現をしているのは面白い。スケールが大きいな...と思ったけど、これこそ使われるサービスの真髄なのかな、なんて思ったりもした。

ユーザーの時間をどう奪うか?

5章の「その製品やサービスはユーザーの時間をどう使うのか」という節。

価値を提供すればユーザーの時間を奪うことになるが、時間を奪ってしまうようなデザインにできれば強い。そのライバルは他社サービスやアプリだけでなく日常生活の時間もライバルになるという視点は、なるほど!となった。人の寝る時間・仕事の時間・食事の時間といった日常生活もライバルになり得るというのは発想はなかった。

「あなたのサービスはユーザーの生活のごく一部でしかない」ことを肝に銘じながら設計することが重要だ。ライバルは他のサービスやアプリケーションだけではない。人日地の朝食時間や入浴時間、睡眠時間ですらあなたのサービスのライバルであり、同時にうまく共生していかなければならない巨大なプラットフォームなのだ。だから、「融けるデザイン」が必要なのである。

余談

アフォーダンスについても改めて勉強し直したくなった。 アフォーダンスとは、人間の「あることができる」という能力は、自分自身が持つ力と思ってしまいがちだけど、様々な行為が可能であるということは、自身が内在する力だけではなく、そういったことができる環境があって初めて可能であり、人と環境があってそれができる、という考え方。

このあたり、アフォーダンスを行為を誘導する考え方と誤解されてノーマンが別の書籍で説明し直したという話が書かれていて気になった。シグニファイヤという用語も忘れてたな。このあたりも昔勉強したことはあったけど、忘れたので勉強し直したい。